こんにちは。zenです。
今回は「仕事の効率化」について触れたいと思います。
社会人として働いている人にとっては永遠のテーマかと思います。現代社会においては、いかに「短納期」で「素晴らしいクオリティ」の出力、あるいは成果物となるかが求められ続けているのではないでしょうか。そういった中で誰しもが求めるものが、仕事の効率化だと考えます。
効率化を進めるにあたり、考え方は以下の2パターンになると思います。
①非効率要素を排除する
②非効率要素を含めた状態でも、極限に効率を上げる
まずは①から触れていこうと思います。
どんな地域や文化でもあることとは思いますが、非効率な要素というのは多分に存在します。デジタルの技術が進んでも対面の打合せを必須としたり、一つの書類について承認をもらうためのスタンプラリー、デジタルで作成した文書を紙媒体で出力して押印した後に改めてスキャンしデータ化するなど…。あげ出したらキリがないほどです。また私が勤めている会社でも似たようなケースはあるので、さらに心苦しいです…。
このような慣習、ひいては非効率要素を排除することは可能でしょうか。結論としては不可能です。人間は物質に依存する生き物だから、と言ってしまえばそれまでと思えるぐらい、「物」に執着しているため、どれだけ非効率なことであったとしても、避けることは不可能と言えるでしょう(先100年単位でみれば、あるいは状況に変化が出るかもしれませんが)。
といったところで①については、減らすことはできたとしても完全に無くすことは不可能です。
では②の場合はどうでしょうか。
これはある種の「根性論」にもなりかねない危険性があります。端的に言って仕舞えば、「いいからやるんだよ」であったり、「そんなこと言ってもやらなきゃいけない」という問題から目を背け、「とにかく頑張る」といった具合です。確かにこの方法であれば、達成は可能かと思いますが、長続きはしないでしょう。「場当たり」的に、「その場しのぎ」をするだけになり、継続的な成長や変化には最も遠いところに位置します。
そのため②だけの方法でも、うまくは行かないでしょう。
では結果、どうしようもないのでしょうか。
そうではありません。ここまで読んで頂けた方は察していることとは思いますが、ここまでの話はあくまで当事者、あるいは当事者たちが行動することを前提にしています。
私は当事者たちがやらなければいいと考えます。もちろん微細な部分は当事者でなければわからないことは多いと思います。では微細な部分以外は、当事者以外でも動けるのではないでしょうか。
加えていうのであれば、社内の人間である必要もないと考えます。現代であれば、社外コンサルなどの職業もあるぐらい、社外の空気を入れやすい環境になりつつあると思います。
微細な部分以外の問題が解決すれば、そのあとはなし崩し的に進められるのではないでしょうか。あるいはそれまでの改善の水平展開で進めることはできるのではないでしょうか。そう言ったことができない場合は、そもそもその組織は終わるべきなのかもしれませんね。
常に客観的に、そして解決するための手段をとっていきたいと思います。
ではまた。
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